狗神
の森 1


「先輩、もうじきですね…」
傍らを走る後輩にそう聞かれてカカシは小首を傾げた。
「…何が…?」
本当に忘れているらしいカカシに、律儀な後輩は面の下で苦笑する。
「誕生日ですよ。先輩の。毎年忘れてますね。」
「…ったく、誕生日が嬉しいのは子供だけでしょ。毎年よく覚えてるね、お前も。」
先輩だって、先月の僕の誕生日に、胡桃のケーキを買ってきてくれてたじゃないですか、とは言いはしなかったが。

「楽しみにしててくださいね。先輩に喜んでもらえそうなもの、見つくろいますよ。」
「……はいはい、あてにしないで待ってるよ。」
はなはだ愛想のない返事をする先輩に、まるで気にする様子もない後輩は、クスクス笑う。

いささかばつのわるくなったカカシが更に足を速めると、後輩は遅れずにぴったりと後をついて行った。




◇◆◇



五代目に帰還報告をして、ようやく我が家へ帰りつこうとしていたテンゾウは、隣のカカシが、急に足を止めて空中の匂いを嗅ぐしぐさをしたのに気がついた。
「どうしました?先輩」
「……火の臭いだ。大きい……」
「…山火事ですか…?」
「……ゆっくり夕食を取る暇はなさそうだぞ、テンゾウ。」
舞い降りてくる連絡鳥を見上げながら、カカシは憂鬱そうに言った。



◇◆◇




神域の森での密猟は、ずっと以前から問題になっていたのだが、監視が甘く、獲物が豊富なせいか、密猟が絶えない。暁とのいざこざで、警備の忍びの人員を引き上げざるを得ず、半ば狩りの無法地帯になりつつあった。
その日も、割のいい仕事として密猟に手を染めた男たちが、獲物を囲んで携帯食を取っていた。
「暁さまさま、ってとこだな。」
「警備の眼をそらしてもらってるうちに、狩れるだけ、狩っちまおうぜ」
気を抜いている男たちは、その森の守護者が、木の葉の火影だけでないことを、知らなかった。
その森が、何故、神域とされているか。
何故、狩りをしてはいけないのか。


かさ、とひそやかな葉ずれの音がする。

大漁の獲物に夢中な男たちは気付かない。
大きな気配が、すぐ、背後まで迫っていた。




◇◆◇



金色に燃える瞳が、人間たちに囲まれている同胞の遺骸(なきがら)を見つめていた。
この森では狩りをしない。
それが契約であったのに。
ごく少数の人間だけにしか聞こえない「彼」の声は、今や聞き届けるものもほとんどのこってはおらず、ゆえに「彼」の瞋恚(しんい)は人々にとどかない。

ならば。

口角がゆっくりと持ちあがり、白く、長い牙が現れる。

力をもって、分からせねばなるまい……。

る、るるる、と、歌うような低い音が、「彼」のどから漏れ…あらゆるものを踏み(ひし)ぐ巨大な前足が、一歩、踏み出した。





◇◆◇





激しい炎と生木が燃える臭い、逃げまどう獣たちで森は騒然としていた。


カカシの率いる小隊の忍びが、腰を抜かして炎にまかれる寸前だった一人の男を助け、カカシのもとにもどってきた。しかし、すっかりおびえてパニックを起こしているその男は、事情を聞いても、大きな獣、襲われた、食い殺された、というばかりでさっぱ要領を得ない。


「密漁者だな…。五代目のところに連行しろ。逃すなよ。」


カカシは部下に命じてとにかく里に引きかえさせる。この山火事の事情を知る者を死なせるわけにはいかないが、こんな素人を連れて消火活動はできない。





巨大な炎は天を焦がし、その勢いはとどまるところを知らないかのようだった。
木々の悲鳴のような轟音が辺りを満たし、それを聞き取れたのはカカシのみだったろう。

「…!…?」
「先輩?」

「あっちに…なんかいる…!」
「や、でも、あっちはもう…」
「……!」

カカシの指差す方向は、もうすでに炎の壁に閉じ込められそうな森の中の杣道(そまみち)…しかし、カカシは一瞬の遅滞なく飛び込んで行った。
─ったく、相変わらず無茶苦茶だよ、カカシさん…!!

テンゾウはその場で高速で印を次々切る。
退却を求める部下を先に引き上げさせると、細く残った道を木錠壁で確保し、水遁で延焼を防いだ。

カカシがあんな無茶をするのも、自分のバックアップを無意識に期待してくれているのだ、という事が、テンゾウは無性にうれしかった。
引き上げの命令がマイクから悲鳴のように聞こえてくるが、テンゾウはカカシが戻るまでこの道を放棄するつもりは毛頭ない。





◇◆◇







その気配は、奇跡のように焼け残った小さな岩陰。

「……こいつか……」

未だ大人になるには間があるだろう、白い山犬の子供が、煙を吸ったらしく、ぐったりと横たわっていた。時折、くんくんと鼻を鳴らし、尾が力なく揺れる。

カカシはそっと指を伸ばし、鼻先で臭いをかがせてやる。煙でだいぶ鼻も馬鹿になっているだろうが、それでも仔犬の本能は、カカシを敵ではない、と認めたらしく、ぺろ、と舐め上げた。

慎重に抱き上げ、懐にしまうと、出来る限りのスピードで元来た道を引き返していく。
須臾(しゅゆ)のためらいもなく…ほとんど炎の中に閉ざされたかのような道にとびこんでいった。

…後輩が、あの道を確保してくれていることを、一瞬たりとも疑うことなく。



◇◆◇






さすがのテンゾウにも、木錠壁の維持と水遁の併用、部下の退路確保の為の木遁の三つ巴のチャクラ使用は、かなりの負担を要した。
畢竟(ひっきょう)、自分の周りに対する注意力が散漫になり、「彼」の接近に、寸前まで気付かなかった。


「!!!!!!!!!」


いきなり背後から飛びかかってきた巨大な気配。
紙一重でかわしながら、テンゾウは耳元で、ガチリ と指ほどの太さのある牙が鳴るのを聞いた。

「な、な、なんて…」

でかい…!山犬か…!?

─我が牙を逃れんがために山に火を放つ…愚か者よ…未だ生き残っておったか…

「…え…?」

─火の只中(ただなか)に…放りこんでくれよう…!己が付けた火にまかれて死ぬるがよい……我が同胞(はらから)を…そして我が子を殺めた罪…自らの命で償え。



まずい。
何がどうなっているのかわからないが。

ここで僕が喰われでもしたら…先輩が戻れなくなる…!!

維持しなければならない術が多く、反撃する余裕がない。

……先輩っ!!早く……そっからにげてくださいっ!僕が…持ちこたえられなくなる前に…!

術式を維持する印を結んだまま、テンゾウは死の(あぎと)をすんでのところで次々とかわしていく。
カカシ先輩は、まだ戻らないか…!?
先輩さえ戻れば、木錠壁を崩せる…!

一瞬。


カカシが消えた道にテンゾウの気がそれる。
山神はその隙を見逃さなかった。



「……っうぁっ!しまっ…!!」




◇◆◇







高くそびえる木錠壁は水遁で水を含み、しっかりとカカシの退路を確保していた。
後輩が当たり前のようにしてくれる補佐に暖かい想いが胸を満たす。


「……!?テンゾウ!?」


一瞬、後輩の声が聞こえた気がして、カカシはかけ戻る足をゆるめぬまま、気配を探った。


………!!!!!!!!!気配がない…!





「テンゾウっ!!!!」










カカシが、テンゾウと別れた場所に飛び込むと同時に、たった今まで不動の様子でそびえていた木錠壁は跡形もなく崩れ、そこに、いつもカカシに忠実な後輩の姿はなかった……