続 明け烏
◇◆◇ 5 ◇◆◇
猫の子でも扱うように、男たちは小太の襟首をひっつかむと、椅子に座らされたカカシから離していった。
「………それでそちらさんたちは俺にどんな余興をお望みなのか…それも聞かせてもらえないわけ…?」
肩を柔らかく回してほぐしながら、カカシは小首を傾げて、後ろに立つ男に話しかけた。
そのあまりの自然体に、小太だけでなく、頭目すら一様に驚いた様子になった。
「…この野郎…これから自分がどんな目にあわされるかわかってねぇらしいな…!」
「……分からないから聞いてるんだけどな…あんた、もしかしなくても頭悪いだろ?」
挑発としかとれないその言い方に、簡単に乗った男の一人は、縛られたままのカカシに丸太のような腕を振り上げた。
小太は自分の口からかすれた悲鳴が洩れたのを、どこか遠くに聞いた。
何も見えないのは硬く目を閉じてしまったからだ。
あの人が殺されてしまったら、次は自分だ…。アヤメの行方も分からぬまま、山犬の餌食にでもされるのか…
床に固いものをたたきつけるような音がして、小太の首をつかみ締める男の手が離れた。
「ど、ど、どうなってやがるんだ」
男の叫び声に、小太は思わず目を開けた。
血反吐をはいて倒れていると思ったカカシは、椅子の背もたれに絶妙のバランスをとってちょこんと止まり、地面でのたうつようにもがいているのは、殴ろうとした大男の方であった。
─ど、どうしたんだろう…
ひとまずカカシが無事だと知り、ほっとした小太は、何が起こったのかときょろきょろとあたりを見回す。
「ど、どうなってやがんでぇ!」
「何、何を…あの野郎、やらかしやがった!?」
眼を開けていた筈の男たちにも何が起こったのか分かっていないようで、どうやら、縛られていたはずのカカシが、殴りかかってきた男を昏倒させたらしかった。
「今まで散々殴っただろうに。まだ殴り足りないわけ…? 余興って、コレ?」
どっこいしょ、と、椅子の背もたれからまた元通りに座りなおしたカカシは、で?と頭目の方に一つだけあらわな眼を向けた。
「馬鹿様とやらを楽しませろ、ってんなら、楽しませないでもないけどね。そこの人質の安全性ってどーなってるの?」
「……てめぇ、そんな注文付けられる立場だと思ってるのか。」
いささか憮然とした顔で、頭目が床に倒れてピクリとも動かなくなった部下にちらちら視線を流しながら言った。
「その人質とやらの安全、我が保証してやろうよ。それではどうであろうかな、カカシ殿。」
警護の供侍らしき従者と、なにやらたいそうな衣装を着たもう一人をつれて入口に現われたのは、精一杯化粧をしてめかしこんだ、川の国の跡取りであった。
◇◆◇
自らの関与せぬところで自分の状況がどんどん悪化していくことに、小太は呆然としながらも…その恐ろしい状況から眼をそらすまい、と決意した。
そんな彼に、傷だらけの青年がかすかに笑顔を向けた。
いや、笑顔だ、思ったのは小太の思い込みかもしれなかったが…
少しだけ晒された白い貌の…切れ長の…一つの眼が、ふ、と和んだのを小太は確かに見た。
すくみあがっている自分を励ましてくれるようなその笑顔。
ほんのかすかに寄った目じりのしわだけで、それと知れるだけの笑顔。
震える唇をかみしめて、小太はかすかに頷きを返した。
──この人は自分を救ってくれようとしている…
唐突にそう理解し、理由を考える間もなく、それを信じた。
体が動く事を確認するようにゆるく体をほぐしている細身の忍者。
この青年だけが小太の命の綱なのだった。
◇◆◇
「我をたっぷりと楽しませてくれるのなら、その人質とやら…まあ、放してやるわけにはいくまいが…我が屋敷の作男としてでも雇ってやっても良いが。どうかの、カカシ殿。」
その言葉に、カカシは軽く小首をかしげた。
「こういう真似をする相手を信用しなきゃならないのにはまいるけど。」
後ろ手に両手を拘束されたまま、カカシはゆっくり立ち上がった。
「何を見せて欲しいのか具体的に言ってもらわないとね…」
血と汗で体に張り付いてしまってる袖なしのアンダーは、その青年が動くたびに細身ではあるがしなやかな筋肉をはっきりと浮き上がらせている。
仏師である小太は、その青年の、飾り物ではない実践によって造られてきたであろう「戦うための体の美しさ」に眼を奪われた。
青年を囲む大男たちのこれ見よがしの盛り上がった筋肉よりも、多分、あの青年の方が、
力もスピードも、格段に上だろう。
人の体をモチーフに、「仏」を彫りだす事を方便《たつき》とする小太の眼に、それは明らかだったのだが…
「若殿さまよぅ! 人の体の骨が折れる音っての、聞いたこと、ねぇだろ?」
「枯れ枝が折れる見てぇにぽきんっつーんだぜ、聞かせてやるよ」
「別に、腕や足の骨の二、三本折っても用は足りるんだろ?」
下品な笑い声と、間違って首の骨、折っちまうなよ、と、野次の飛ぶ中、青年の表情は揺らぎもしなかった。
にやにやと性質の悪い嘲笑を浮かべた頭目は肩をすくめた。
「木の葉のエリートさんには、俺たち雑魚、一人ひとりの相手なんぞさせてられねぇからな。」
わざとらしくカカシの前を行ったり来たりして言を継ぐ。
「10人ほど、色々ご教授願おうかね。」
わっと歓声があがる。
どの顔も、陰惨な加虐の喜びに醜く濡れていた。
「…ふうん。それで…組み手とか見せればいいのかな?…って腕縛られてるんだけど。」
少しもおびえない贄に、しびれを切らした一人が、刃物を抜いた。
「何様のつもりか知らんがな。手加減、してもらえると思ったら、大間違いだぜ…?」
ぴたぴたと刃物の腹でカカシの頬を叩きながらそう恫喝したが、これは残念ながら何の効果もなかった。
わっ
と悲鳴を上げたのは誰だったのか、くるりと刃物を持った男の体が中で回転し、頭から床にたたきつけられる。
ごき、と鈍い音がして、男は泡を食んだまま動かなくなっていた。
膝をけり上げ、大の男を後ろ手に縛られたまま倒した青年は、顔色も変えなかった。
須臾の沈黙。
そして湧き上がる怒号。
野郎、殺せ、ばらばらにしろ、思い知らせてやる…!!!
狂乱する男たちに収集がつかなくなるのを、頭目は舌打ちしながら押しとどめた。
「やかましい、静かにしねぇか!!、お宝をいただくまで殺せねェって言うのがわからねぇのか、馬鹿どもがっ!!」
金、の、一言で、ようやく頭が冷えたのか、男たちは歯ぎしりをしながら涼しい顔をしたままのカカシから離れた。
男たちは苦い顔で、ついさっきまで仲間だった、物体を、ずるずると部屋の外に引きずっていく。
小太はあまりのことに凍りついていた。
その、あまりにも、軽く、途切れる人の命。
たとえ、自分や妻の命を軽く奪おうとする輩であっても、その、あまりにもあっけない最後と、そうすることに何のためらいもない、自然体で佇む青年…。
自分には想像もつかない世界で生きる、彼らの生きざま…。
─…なんて悲しい…
恐れでも、嫌悪でもない、言葉にできない感情が、小太を絡みとっていった…。
続く…
Update 2010/03/28
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