もっと特別なことだと思っていたんだ
 前篇


「とんだお誕生日になりましたね。」

ベッドにやっと上体を起こせるようにまでなったテンゾウがそう言うと、隣から、ああ、とかうう、とか言うくぐもった声が聞こえてきた。

うつ伏せに枕を抱え込んで、すっかり自堕落に朝寝を決め込むつもりらしいカカシは、枕に顔を突っ込んだまま、片目だけを上げてテンゾウを見上げてくる。


二人部屋の離れの病室、ベッドはちゃんと二つあるのに、テンゾウが気付くと、せまいシングルの彼のベッドに、世話の焼ける先輩がもぐりこんできている。
そうしておいて、自分がどこで寝ているのかに気付くと大慌てで自分のベッドに飛んで帰る。
なんなのよ、ほんとに、などとぶつぶつ独り言を言っているところをみると、どうも無自覚らしい。

今度の件で。
ずいぶん心配をかけてしまったらしい、と自覚のある後輩は、それでもいつもクールな(或いはそれを装っている)先輩が、火影命令も無視、自分の体調も意識の外に自分を探し求めてくれたと知って…


先輩の誕生日に僕がプレゼントをもらった気分だ…


自分が死にかけたことも忘れてつい顔がほころんでしまう。

「…お前…。何、思い出し笑いしてんだ。イヤラシイ。」

イヤラシイって……

「…先輩の事考えてたんですよ。」
「…あぁ?」

寝ぼけたまんまだったらしいその「先輩」は、また自分が後輩のベッドにもぐりこんでいるのにようやく気付いたらしく、びっくり顔できょろきょろしていたが、今更自分のベッドに戻るのもとってつけたようだと思ったのか、そのまま枕に顔を突っ込んでだんまりを決め込んでしまった。

きれいな銀髪の間に見える耳が、みるみる赤く染まっていく。


この人が好きで。
たまらなく好きで。

自分の命の事なんか考えもしなかった。

あの時、炎を押さえなければ、この人が燃えてしまうと思った…


後ろに迫る妖魅も何の恐怖の対象でなかった。

テンゾウはぽわぽわと好き勝手な方向に奔放に跳ねている柔らかな銀髪に手を差し入れ、暖かな地肌をそっと指の腹でたどる。

この人を亡くしてしまうかもしれないという恐怖が、とことんチャクラを絞りつくさせた。


馬は、心の臓が止まるまで走り続けられる生き物だが、人はそういうわけにはいかない。
苦しくて必ず立ち止まってしまう。
チャクラもそれと同じで…。
この人のように…死に至るまでチャクラを使いきることなど、普通はできないのだ。

─自分でもよく死ななかったものだと…


「……ったと…思った…」


枕に押し付けられた、銀髪がもそもそと動いたかと思うと、枕に遮られた声が小さく響く。
それはテンゾウに話しかけられたもの、というより、問わず語りのひとりごとのようだった。

「…先輩…?」

体をかがめて旋毛に話しかけるように声を落とす。

「お前にまで…おいて行かれた…かと…思っ…た」

「…………………」


テンゾウは呆然と眼を見張った。
返事が返るとは思っていなかったのだ。何でもない、と、また飲み込んでしまうのだと。


病衣を嫌がって相変わらずの暗部仕様のアンダーの、晒された白い肩が、かすかに震え、それはテンゾウに、この青年が、次々に、大切なものを亡くして、そして独りで生きてきた事を思い出させた。

自分は。

そう、自分は、失った経験がない。

失うようなものを持っていなかったのだ。
今まで。


それなら、と、テンゾウは思う。

何も持つことがなく、失う悲しみを知らない、とサスケに弾劾されたというナルトに、自分は近いのだろう。

だから。

一度たりとも…何も持たざる者の…哀しみを…知っている。

だから。

ナルトの、サスケへの執着を理解してしまう。

けれど。

そうして…サスケを引きとめてやれなかったと、いつまでも悔やみ続けるこの優しい人を得た今。
サスケの「喪失」への怒りをも理解できてしまう。

己も…傍らの、この人に、妄執にも似た執着を持つゆえに。


◇◆◇


「僕たちは忍ですから。先輩。どちらかが先に死ぬ事は…多分ありえるでしょう。」
「……」
「でも、ボクは…縁起でもないですけどね。たとえば…先輩がさっさと薄情にも…先に逝ってしまったとしても…残される苦しみをちゃんと受け止めようと思っています。」
「……っ…!」
「僕は…まだ、心の底から大切なものを亡くした経験がありませんから。」
大切なものはまだ、この手にあるから、と、テンゾウは銀色の頭を抱え寄せる。
「口で言うように簡単なものじゃないでしょうけれど。」
「……」
「あなたが超えてきたその辛さを、僕が超えられなかったら、先輩の相棒はつとまらないでしょう?」
「……テンゾウ……」
「でも、ま、一緒の任務についている限り、僕があなたを死なせませんから。単独任務でコロッと逝っちゃわないでくださいよ」
「……お前…黙って聞いてりゃ……!!前半部分でじ〜んとさせといてなに、その後半部分のナニゲな失礼さ加減は!!」
「おや、そうでしたか?僕がいると思っていっつもやりたい放題でしょう?」
「……ぅ…」

だから、先輩……、と、テンゾウはチャクラが全快していない体を持て余しながらカカシの腰を抱き寄せた。


「無くしたって…その手に有ったって事実ってなくならないんですよ。違いますか?」
そう言って閉ざされた左目にそっと指先で触れる。

「この眼が…かつて持っていた…熱い、想いが…あなたの中に、ちゃんと存在しているように。この瞳をかつて持っていた人が…いなくなってしまっても。あなたが決して忘れないように。」

テンゾウは顔色を無くした白い頬を両手で挟んで覗き込んだ。

「僕はあなたを忘れませんよ。最後の一呼吸まで。あなたの事を覚えています…」

テンゾウは真剣な眼差しで自分を見上げるオッドアイを覗き込みながら、そのままゆっくりと柔らかな素材のアンダーをたくしあげていく。

「忘れるわけないです。忘れられるもんか…」

まだ、体力の戻らないおぼつかない動きで、テンゾウはカカシの、すでにツン、と立ち上がった、紅い乳首に唇を寄せた。

「こんなに、あなたを欲しいという気持ちが。あなたや、僕自身が、死んだくらいで無くなるとは思えません……」
「……っ!!おま…それって…ちょっと…テンゾウ…!」

後輩の、いたずらを仕掛ける手を押しとどめるそぶりをしながらもカカシは息を乱し始めた。



俺たちがいなくなった後まで…その想いが残るとしたら…
俺たちすべてが死に絶えたあと、その想いはどこへ行くのだろうな。


テンゾウの病衣の肩口を握ってしがみつくように体を寄せるカカシがそんなことをつぶやいた。



いつもはひんやりと冷たい肌が、テンゾウの手によって瞬く間に熱く、しっとりと湿りを帯びてくるのを感じるのが幸せだった。

他の者に決して見せない姿をみせ、我儘を言い、甘えてくれる…

それだけで天にも昇る気持ちだ。




幸せとはいつも平凡な姿で人々の傍らにある。
それは、たとえば主の帰りを待つ子供たちのいる食卓だったり、いってらっしゃいやおかえりなさいの笑顔だったり…


けれども、不幸は数多の貌をもって嵐のように訪れる。

ゆえに人は不幸の襲来のみに気を取られ、傍らにある幸せが去っていくに任せてしまうのだ。


自分たちは…
お互いがそばにいて、同じ任務について、憎まれ口を聞きあい、笑い合い、そして。

「…ぁ、テン…ゾ…、お前…チャクラ…」

意地っ張りのこの人の見せる、稀な素直さ。

あのままでいれば、お互いに、この「平凡な幸せ」を、本当に失ってしまうまで、気付けずにいただろう…


テンゾウは、痩せてゆるくなってしまったカカシのズボンのウエストから手を差し入れ、丸く弾力のある尻をじかに握りしめた。



「今…思ったんですけど…カカシ先輩…」
「…っん……?」
「僕たちって…もしかして、すごく幸せなんじゃないですか…?」

そう、ひそやかな声できいた後輩に、気難し屋の先輩は、眼を上げて、ちらり、と視線を向けた。

しがみついているカカシの息はすでに上がり始め、テンゾウの幸福感をさらに刺激する。

指の長い白い手が、後頭部に伸びて来、後ろ髪をつかんで引き寄せられた。

唇と唇をふれ合わせたまま、カカシが低い声で…言った。



想いは死なない。
想いが消えることはない

だから大切にしなければならないんだよ


それが俺の問いへの…先生からの答えだったんだ。


そのすぐ後に。

先生は逝ってしまったけれど。


お前は先生と同じことを言うんだな……

幸せって…幸せになるって、もっと特別な事だと思っていたんだけれど…

そう言って笑った
笑ったその人が…


「…好きですよ。カカシ先輩。」


唇をふれ合わせたままの唐突な告白。
何度も何度も体をつないでいて、そんなことは分かり切ってると省いてしまった大事な言葉。

「……ば…っか!」

驚いたように目を見張り、更に血をのぼせたように紅くなった頬を視野におさめ、それから、噛みつくように口づけた。


どこもかしこも…すべて自分の幸せのモトであることを確認するかのようになでまわし、舐めまわし…!

ああ、もうどうしてくれよう…このカワイイ人を……!





Update 2009.10.17