InnerChild〜内なるものの声を聞け〜第三話
カカシは、目の前にいきなりターゲットに現れられ、さすがに動揺していた。
─やっぱり素顔で出てきたりしてるとこんなドジを踏む…
ただの下見…ターゲットと接触するつもりはなかったのが、とんだ番狂わせだ。
それにこの男…
─かなり場数を踏んでる…
そう見てとったカカシは、すっと体をひいて、視界から消えようとした。
「おーっと、待ちな、兄ちゃん。」
いきなり延ばされた手が、カカシの白い手首をとらえた。
勿論、簡単にかわすことはできたが、哀しいかな、一般人の振りをしている以上、そういうわけにはいかない。
長身のカカシに比べれば小柄な、しかし整っていると言えなくもない酒に焼けた顔が、視線ををそむけるカカシの顔を下から掬いあげるように覗き込んできた。
「えらく綺麗な顔した兄ちゃんだな。なんだ?『色』に売り飛ばされたのか?」
…正直な話、容姿について、他人からあからさまな評価を受けたことのないカカシは、─あたりまえだ、四六時中口布で半面を覆い、片目は額当てで隠して、30%しか素顔をさらしていないのだ─思わず、眉根を寄せた。
「なんだ、しかめつらして…褒めてんだぜ…?」
綺麗だの、かわいいだのと連呼してくる人物なら若干一名いるが、(勿論ベットの上で)そんなものはその人物から言われるから、惚れた欲目だろうと思うだけで、それもピロートークとして聞いているから恥ずかしがらずに済むのだ。
初対面の、それも、ターゲットに言われて嬉しかろうはずもない。
さすがのカカシも、素顔をさらしたまま、思わぬターゲットとの接触で、中々何時ものペースに戻れない。
そんなときに、追い打ちをかけるように、ターゲットから無自覚に顔を覗き込まれて、カカシはますます困惑した。
相手から近付いてきてくれたのだから、本来ならこのまま任務を開始してかまわないのだったが、
─ちょっと待て…女に変化してもいないのに…なんで…男にちょっかいかけてくるんだ…?!
勿論、カカシは、ターゲットの「黒鍬」が、女よりも男を好む嗜好の持ち主であることを知る由もなかった。
★
……なんてこった…
テンゾウは、勿論屋根裏でその一部始終を見ていた。
一瞬の差で、カカシを捕まえ損ね、裏口に連れて行かれるのを指をくわえて見ているほかなかった後輩は、ターゲットがカカシの腕を捉えた時には思わずこぶしを握っていた。
木分身を使って同時に店の中を調べさせた彼は、店の結界自体は大したことがないのにすぐに気付いたが、「黒鍬」と名乗るターゲット自身が張った結界が、
こいつは…幻術系だ…
厄介なのを知って舌打ちしていた。
変化なんかしてもすぐにばれる…素顔で来ていて先輩は却ってよかったが…
(ボクの)先輩に…あのクソ抜け忍野郎はぬけぬけと何をしやがる…!
何時もは温厚な後輩は、恐ろしいほど無表情になっていた。
このままだと、あの人は任務に突入するだろう。
…何の下準備もないまま…。
…危険すぎる。いざとなれば、自分の体力を除外しして強引に「目」を使うにきまっている。
また10日も入院されては、心配で任務にもおちおちついていられなくなる。
…接触して…情報を伝えて共同戦線を張らないと…
二人で組んだ任務の成功率は未だに100%を切っていない。
今回が初めてのケースにならないように……
テンゾウは深呼吸した。
★
黒鍬は目をつけた青年の思った以上の器量に目を見張った。
その上、こういった容貌の持ち主にありがちな、鼻もちならない、高飛車な感じが微塵もない。
大概、容貌に自信のある人間は、それを褒めるともっともっとと賛辞を要求する気配を見せる。
しかしこの青年は、逆に迷惑そうなそぶりをしただけだ。いやそうでさえあった。
…おもしろい…!
木の葉の里がどんな九の一をよこすかしれないが、こいつ以上の器量の九の一など、そうそうはいないだろう。こいつを目くらましに使うのも面白い…
「おい、今日の
敵娼はこいつにするぜ。」
店の若い衆にそう宣言してやると、こちらを上客だと心得てる相手は、揉み手をせんばかりに愛想がよくなった。
「お初ですんで、その、旦那、値段がですね、ちょいと…」
「金のことばっかだな、おい、まあ、いい…」
そう言いながら、心付けをわたすべく懐を探っていると、当の青年がいきなりつかんでいた腕をふりはらった。
「何を勝手に決めてんだか!」
怒った顔もかわいいねぇ、と、すっかり黒鍬はやにさがり、ニヤニヤしながら店の若い衆に視線を送った。
「いやいや、はい、決めていただいてありがとうございます、」
そう満面の笑顔で言ったあとで、青年に振り返り、渋面をつくった。
「お前、今更ここまで来といてなにをいってるんだ、覚悟、決めてきたんだろ」
そう言われて青年は戸惑った顔をした。
だんだんうつむき加減になっていく。
そうして、ようやく、蚊の鳴くような声で、分かった…とつぶやいた。
黒鍬は、当然のように再び青年の手をとり、部屋に連れ込もうとした。
今夜はお楽しみだ。
慣れていなさそうなこの青年を、さて、どんなふうに泣かせてやろうか…
久々の上玉だ…楽しませてもらえそうだ…
そんなことを考えながら思わずほくそえんでいると、店の表がいきなり騒がしくなり、どたどたとこちらに走りこんでくる足音が聞こえてきた。
そしてすぐに一人の黒髪の青年が現れた。
「ああ、やっと見つけた!!」
大きな黒い瞳が印象的なその青年は、黒鍬が捉えている青年を見つけてほっとした笑顔をうかべた。
「こ、こんなところに独りできてしまって…!」
黒鍬が手をつかんでいるのにも気づかぬようにいささかぼぅっとしている青年の両肩をつかんでその肩口に額をうずめる。
「何やってるんですか…若旦那……」
★
テンゾウとバディを組んでの任務は数々あれど、打ち合わせもなしに仕事に突入したことは初めてだ。
誰が若旦那だって…!?
それってどういう設定なの?こんな若旦那いていいわけ?
ってか、お前は何の役どころなんだよ!
………そもそもお前の名前も分からないよっ!!
言ってやりたいことは山のようにあるが、やむにやまれぬ事情があるだろうことは容易に想像できたので、余分なことを言わないように、ふてくされたようにそっぽを向いておいた。
そうすればテンゾウがこの場を取り繕いながら、最適だと思う設定を自分にさりげなく説明してくれるだろう。
とはいうものの。
いきなり顎をつかまれて顔を覗き込まれた。
怒りをにじませた黒い瞳がマジマジと覗き込んでくる。
…な…んだかな…こいつ…頼むよ、状況を早く説明してちょうだいよ…
「こんなに心配かけていけない人ですね…ちょっと話して聞かせなければいけません…」
そう低く言うと、カカシの肩を引き寄せてずんずん歩き始めた。
驚いたのは、カカシを買おうとしていた男と店の若い衆だ。
「おいおい、ちょっとまってくんな。店のもんを勝手に連れ出されちゃ困るぜ、兄さん」
テンゾウの肩を掴んで引き寄せる。
客の決まった店の「商品」をつれだそうとしたのだから当然だろう……
…商品?…ちょっとまてよ…
カカシははた、と、思い当たる。
「勝手なことをしてるのはそっちだと思いますけどね…」
「なんだと…?」
「この人、いつ、ここの従業員になりました?契約も何もかわしてないじゃないですか。そうでしょう?」
………
そうだ…店に入ってそのまま連れてこられただけで、何も話は済んでいない。
若い衆も初めてしまった、という顔をした。
「それじゃ、問題ないですよね。この人働かせるんだったら、先に払うもの、払ってからじゃないとね。」
温厚な顔でほほ笑んで、テンゾウはずんずん店の外へ出ていく。その際にもターゲットには一瞥もくれない。
カカシはうつむいたまま、ちら、と前髪の間から男を盗み見た。
顎に手をあてて、ニヤニヤしている男は、カカシを閨にひっぱりこみ
損ねてがっかりしている様子ではなかった……
★
(気付いてるか…?)
カカシの指が、そっとテンゾウの手のひらに触れてきた。
暗部の声でもやり取りができない時の為に、と、二人は指文字を取り決めていた。
長いバディでの任務、どれだけ重宝したことか、ついつい二人の内緒話代わりに使っているうちに、今では話し言葉とさほど差異がないくらいに「話せ」る。
(はい。付いてきてますね…中々な抜き足だ…)
(俺たちじゃなきゃ、気付かんかもな…)
(という事は、正体がばれたわけではない、という事ですね…)
はたから見れば、少し近めに寄り添って歩く、仲のいい友人同士。ときどき手が触れ合っているのに気付く、あるいはそれを気にとめるものなどいよう筈もない。
テンゾウから、綱手の伝言を聞いたカカシは、思わずのどの奥で、低く呻いた。
(わざとじゃない、と思いますが…アンラッキーなめぐりあわせになりましたね…)
(ボーナスをふんだくってやるからな…)
(相手にもっと吹っかければいいことですから、十分な報酬をもらいましょう。ところで…)
(…なんか計画立ててきたのか?)
(…ボクの計画に従ってもらっても…?)
(準備してきたんだろ?お前が指揮をとってかまわないよ)
(…ありがとうございます…なら…下僕バージョンでいくか、鬼畜バージョンでいくか…さて…)
(……???なんだ、そりゃ?)
話しながら、二人は裏通りに入り込み、一軒の、看板も出ていない、何の店かもよくわかない店屋の
暖簾をくぐった。
「なんなのよ。この店。変なとこ知ってるな、お前。」
これは声をだして、小さく聞いてきたカカシに、テンゾウは、ちょっと具合の悪そうな、或いはばつの悪そうな顔をした。
色々情報を集めるのに、必要なんですともごもご言い訳じみたことをいいながら、背後を確認する。
(ついてきてるぞ…ってか、一人前に変化してやがる…)
カカシに言われるまでもなく、人通りの少ない路地裏をぶらぶらと歩くその男は、どんなに平凡な様子を見せていても、変な目立ち方をしていた。
(あれが変だと自覚ないところは三流だな…)
カカシの感想に頷きながら、テンゾウは慣れた様子で奥に進む。
店の者はだれも迎えない。
うなぎの寝床のような、間口の狭い、奥の深いその店の、どん詰まりの小部屋に入ると、テンゾウは早速、
懐から小さなケースを取り出した。
追ってきているターゲットの男がまだ店に入りかねているのを気配で確認してから、テンゾウは低く
囁いた。
「綱手様からの言伝です。コレ、左目に…」
ケースから取り出したのは小さな…赤い
玻璃。
「目を閉じてチャクラを流せば涙のように流れて外れます。表面を綱手様がチャクラで薄く覆ってくださってるんで、写輪眼に負担をかけずに視力のみを得られるそうです。」
「………なんでわざわざ写輪眼とおんなじ色…」
「視力を確保するのに、色を変えられなかったそうですよ…」
言いながら、カカシの細い顎を捉えると、二つとない瞳を覗き込み、そっと、薄い玻璃を瞳に乗せた。
「……つ…っ…」
「痛みますか…?」
「少し…な…だが、すぐ慣れそうだ…」
「…いけそうですか…?」
「ああ、だいじょうぶ…」
異物に逆らって抵抗するように、あふれ出る涙を、テンゾウがそっと親指でぬぐう。
「…痛そうだな…」
「生理的反射、ってやつだ、だいじょ…!!!」
涙を流すカカシに、いきなり顔を近付けたテンゾウは、片目だけで泣く青年の頬に舌を這わせると、濡れた音を立ててなめ上げた。
「…しょっぱい…」
「……お前な…」
怒ろうとしてタイミングを外してしまったカカシはため息をついて、ハンカチを忘れただの袖でふくのは不衛生だの、と、色々言い訳をしながらなめるのを止めようとしない後輩の好きにさせた。
─こんなことしてる場合じゃないってのに…
いつもは無愛想な野良猫に懐かれた時のような、妙にうれしい気分で眼が異物になじむまで流れ続ける涙をなめとるテンゾウのなすがままになる。
徐々に涙は収まり、満足そうな顔のテンゾウが顔を寄せたまま、小さく聞いてきた。
「おさまってきましたね…」
おさまってきたのはお前の独占欲だろ!
と、突っ込みたいのは山々だったが、この、いつもは物静かな後輩に執着されるのが嫌ではないカカシは、多分ターゲットとのやり取りをどこからか見ていて不機嫌になったのだろうと察しを付けて後輩の可愛いわがままを許した。
「それで…?」
ターゲットの隠した気配が、そこここにうろつきながら徐々に近寄ってくる。
カカシはテンゾウに仕事の手順の確認を促した。
「…迷ってるんですが…。下僕でいくか、鬼畜でいくか…」
「………??」
あんなくだらない男相手になんで下僕バージョンの作戦をたてにゃならんのよ、と思ったカカシは、
「なんで?鬼畜とか、よくわからんけどさ。こういう場合…キッツイのでいっていいんじゃないの?」
そう言われたテンゾウは、ちょっとびっくりしたような顔をした。
「………いいんですか……?」
「……?ああ、そいつでいいんじゃないの?お前の作戦だったら大丈夫だろ?」
全幅の信頼を現されて、先輩大好きな後輩は真っ赤になった。
「それなら、ご期待に添うように…全力で頑張ります…!『鬼畜な恋人の使用人に売り飛ばされる
深窓の若旦那バージョン…!』」
「な、な、なにぃ……!!!??」
ターゲットの気配は、部屋のすぐそばに迫っていた。
続く
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