Al Na'ir al Fakkah〜欠けたるものの明星〜

★カカシ




背に感じる穏やかな視線に、振り返らずともわかる、庇護してくれる存在をもっていたあの頃。


振り返らずに、前に進むことだけを考えていられた、ある意味幸福な時間…


それを失って、なおさら後ろを振り向くのが怖くなった。

潮の柱になったロトの妻ようにはなるまいと…、決して振り返るまい、と、心に誓って。

そして、ずっと前を向いている…








あの人を失ってからどれくらいの時間を過ごしたか。

それすらもすでに曖昧になっていた。


機械的にこなす任務の中、ときどき背中に感じる穏やかな視線に、強烈に既視感を刺激される。


あの人はいない。
もう、いなくなってしまったのに。


さりげなく気配を探っても…どうしても…彼をしてすら、その視線の持ち主は特定できなかった。
ある意味仕方なかったかもしれない。
彼は、いつも注目の存在であったから……


振り返らない。
振り返れない。


彼は、自分がひどく臆病なことを知っていた……













「ちょ、テン…も…おまえ…しつこ……あ…」



年下の、いつもは穏やかな恋人は、閨の中だけはどうやらわがままなやんちゃ坊主になるらしく、いくらやめろと言っても、体中に落とすキスをやめようとはしない。

「やーめーーろってぇ!!」

黒い髪に手を突っ込んで、首筋に埋めている頭を押しやると、不満げな顔をしていると思った恋人は、楽しげに笑っていた。

「先輩、くすぐったがりですね。気持ちよくなかったですか?」

いつものやさしい口調でそう言われると、ふてくされたりするのも大人げなくて、カカシは寝返りを打ちながら呆れたように言った。

「変な病気みたいに斑点だらけにするなよ、テンゾウ。まったく、お前にそんなエッチなキス教えたの誰だよ!」

その言葉を聞いて、後輩は、

「あれ…?覚えてないんですか…?」

そう言ってきた。

「…は?」

「全然…?」

「なんだよ。意味深ないい方だな。俺の知ってるやつなの…?」

それはちょっと面白くないかも…
同じ班で任務に就くのなら、荷物を持つ配分をすこし多くしてやろうか…


「…覚えてないのならいいんですよ。」
「よくないよ。気になるでしょ。言いなさいよ。」
「……ボクのファーストキスの相手が、気になるんですか…?」

そう聞き返されて、カカシはぐっと言葉に詰まった。

素直に気になるとは言いにくい。
嫉妬しているみたいではないか。………



反対に、嫉妬していなかったら単に興味で聞いてしまえるものなのだが、年上の恋人として微妙に見栄を張ってしまうカカシは聞きたい、と言えなかった。

─ファーストって……初めてでそんなの教わるわけ…?


とは思っても、口に出したのは、言いたくないのなら別にいい…という大人げない科白だった。


「そうですか。んじゃ、続きに戻りますね。」
「は!?続き…!?って、おい、もう朝………ん…」



本当にこいつに、こんな…キスを教えたのはだれなんだろう…


口の中を蹂躙するテンゾウの舌に、自分のそれをからめとられながら、カカシはまだこだわっていた。




★テンゾウ




朝の白い陽が、晒されたように色素の薄い髪や、血管の透ける皮膚の薄い肌をいろどっていた。


テンゾウは結構無茶をした自覚はあったので、オチてしまったカカシを楽な姿勢に直してやると、硬く絞ったタオルでそっと汗やら唾液やらにまみれた体をぬぐってやる。


この人を自分の手の中に抱いているのがまだ信じられない。


ずっと、焦れて、ひたすら見つめるだけだったその人が、今、この手にある。


─やっぱり覚えてなかったな、この人…




あの頃。




四代目が命がけで守り抜いたものを、この人も命を引き換えにするように守ろうとしていた。
無茶ともいえる…捨て身の戦い。

大人たちはさすが、四代目の愛弟子…とたたえたが、テンゾウには、死に場所を探しているように思えてならなかった。



まだまだ子供の域をでていなかったテンゾウには、そのもどかしさを伝える術も、彼を支える力もなく、ただ、ただ、無事を祈り、心の安寧を祈ってその背を見つめるしかなかったが。






暗部の中で、カカシを抜いて最年少となったテンゾウは、だが数々の先輩、年長者を抜いてカカシの片腕になっていた。




その頃には、部隊長として部下を連れて任務に出ることの多かったカカシは、副官に恵まれずに苦労していた。

とにかくカカシの能力が飛びぬけているうえに若い。経験の多寡では勝るはずの年長者が、彼の戦闘センスに舌を巻くばかりで、却って体力的に劣ってしまい、補佐をするどころではない。
反対に体力的についていける若い者たちは、経験が圧倒的に足りず…

「あ〜、しょうがないな、俺、ちょっと一人で行ってくるよ」

と、さっさと自分一人で片づけてしまうことのどれだけ多かったことか。


部下たちも一人で行かせることに忸怩たる思いがあったし、班長一人に負担をかけるのに申し訳ない思いでいっぱいなのだが、ついていくと、自分たちをかばわなければならない分カカシに負担がかかる。

そばにいると自分の凡庸さを思い知るようで、部下たちはどうしても、自分たちの隊長を誇りに思う反面、暗部である、という自尊心をちくちくと傷つけるこの年下の上司を敬遠しがちであった。



そんな中。

若いカカシよりも更に若いテンゾウの存在は、カカシへの微妙なこだわりを吹き飛ばすものだった。

今は亡き四代目の愛弟子、秘蔵っ子として赫々たる勇名をはせていたカカシと異なり、里を捨てた裏切り者の実験体として気味悪がられ、白眼視されていた子供が、暗部に入隊してきたのだ。

カカシへの紗に包んだような反発は、テンゾウへのストレートな嫌悪にとって代わる。

しかし、テンゾウにとってその嫌悪も、忌避も、屈託のない、憧れの先輩との任務で帳消しどころかおつりがくるくらいだと思っていた。

振り返ると、当時の自分の健気さに少し涙が出そうになるテンゾウだった。

自分は人として扱われるより、もの として扱われた時間が長い。歪んでいて当然だったし、気味悪がられてあたりまえだと思っていたから、暗部の先任者たちの態度に、今更傷ついたりしなかった…というより、正直、なんとも思っていなかった。
ただ、大事なカカシの足を引っ張るような班員は…

──戦闘で間引かれていなくなった方が、カカシ先輩が楽になる…

そんな風に考えてさえいた。

「テン!テンゾウ!お前ってお役立ちだなーーー使えるなーー!!俺、お前を採れてラッキーだったかも!」


大好きな先輩にニコニコしながらそう言われることが、誰からも話しかけられることなく、ずっと一人で過ごす猫目の少年の唯一の目的となっていた。



「チャクラの回復用の丸薬?」
カカシと同じ年とは思えない、ずいぶん年長の印象のある、大男の暗部が、思わず口をはさんだテンゾウを振り向いた。

カカシ以外では、テンゾウに屈託なく接する数少ない暗部の人間で、テンゾウもその豪放磊落な人柄に好意を寄せていたので、珍しく、金髪の見目のいい同僚と話している会話を拾ってしまったのだ。

「あ?お前、興味あんのか?」
「…いえ、あの、カカシ先輩…」
「あーー奴がねーーってか、奴にはこれ、必需品だろーなーー」


飴玉のようなそれは、今は内乱の雨隠れの里の隠れた産物だという。

「俺もチャンスのある時には手に入れてやってたんだが、最近の雨は物騒でな。なかなか手に入れにくくなっちまったな。」


ほしい。

あの人のために。

仲間をかばってすぐチャクラを使い果たすあの人のために。








テンゾウはカカシの隣にまたもぐりこんで、その形のいい頭蓋を抱え込んだ。


あの丸薬を手に入れるために払った犠牲…
この人には言えないことだ。

テンゾウは自分が、カカシが思っていてくれるような大きな人間ではないと思っている。

大事なものと、そうでないものの、明確な線引きが自分の中ではあって、確かに、自分は木の葉の里のために命をかけられるが、それは…

先輩が木の葉のために命をかけているからだ……

自分は生まれてから何も持たずに生きてきた。

人々の珍重する能力さえ後付けだ。

だか、それゆえ、この人の役に立つこともある。この人の背を守ることもできるし、共に荷を背負うこともできる。




テンゾウは、抱え込んでいるカカシの柔らかな髪に鼻先を埋めて、く、く、く、と思い出し笑いをした。












さりげなく、渡すんだ。さりげなく、さりげなく。


この丸薬のことはアノ人は知ってる。負担に思って、もらってもらえないと困る。

大したことじゃない、って感じに渡さないと。

控室のミーティングルームのテーブルに…さりげなく置いておくか…?

─あれ、これ、どうしたの?だれが持ってきたんだ?
─あ、ボクです。
─へぇ…どうやって手に入れたの?大変だっただろ?
─いえ…先輩とは別の任務のときに…ついでに…
─なんだ、俺もそっちの任務がよかったな。そしたら採りに行けたのにな…
─よかったら…どうぞ…?
─え…?いいの…?

必死でシュミレーションするテンゾウは、はたから見たらさぞかし変だっただろう。


テンゾウがテンぱったまま、カカシを待っている間、ミーティングルームに顔を出した者は、珍しい丸薬に手を伸ばし、テンゾウをあわてさせたが、カカシに持ってきたのだ、と言い切るとカカシに負担になるだろうし、かといってこのまま他人に食べさせてしまっては苦労のかいもない。

テンゾウは次から次へと丸薬に手を伸ばそうとする輩に閉口した。

くそ…

いっそ結界をはってやろうか、こいつら…


無表情な顔の下で、木遁で串ざしてやろうかとまで怒りが沸騰しそうになった時、


「うわ、珍しいもんがある、最後の一つもらうよーー」

と、背後から聞こえた声にテンゾウは大慌てに慌てた。

最後だとーーー!!


「駄目です、それは……!!」


叫んで振り返ったテンゾウは、丸薬を口に入れて、口布を戻した……

意中の人の姿を見た。


「え…?あ…?ごめん…食べちゃった…って、これ、お前のだった?」

気まずそうに口布の端に指を引っ掛けたままのその人に…

テンゾウは今までシュミレーションしてきた科白がみんな吹っ飛んでしまっていた。

「え、あ、え、あの、そうですけど、そうですけど、そうじゃなくて…」


何言ってんだ、ボクは……

─あなたに採ってきたやつだから、あなたが食べるんだったらいいんですよ、

って、いえよ、ボク、がんばって、ほら!!

唾を飲み込んで、なんとか言葉をひねり出そうとしたテンゾウは、その仕草を違う意味にとったその人から…

とんでもない目にあわされることになった。



「ああーー悪い、ごめんな、おまえ、自分がまだ食べてなかったんだ?返す返す、そんなに減ってないから……」


彼は口布に引っ掛けたままだった指でそのまま、再びそれを引き下ろし、その白い素顔を見て固まっている後輩の後頭部を抱え寄せると、口をよせ…

─ん…

!!!!!!!!!!!!!!!!


口の中に、柔らかなモノが差し入れられ、それが丸い物を転がしてきた…


テンゾウの口からゆっくり口を離したカカシは、

「今度は俺のも残しといてな…?」

そう言って白い貌をさらしたままほほ笑んだ。


…もちろん、テンゾウ以下、あたりの者は固まったままである。



その、なんとも言えない雰囲気の中に入ってきたものは、わけがわからずたちつくすばかりだったが、

「何やってんだ、おめーら…?」
鴨居に額をぶつけそうになって頭を下げながら入ってきたその大柄な若者の声が凍りついた空気をはらった。

「あの丸薬、返しただけ〜」
のほほんとしたカカシの返事に、アスマは固まったままのテンゾウを見やった。

「なんだ、おまえ、カカシにとってきてやりたいとかいって、結局自分が食っちまってんのか…?」

そう言われてやっとテンゾウはぶんぶんと首を振った。

「何…?どういうこと…?」

「丸薬だろ?雨の…?こいつ、お前にやるんだって、かなり苦労して探してたぞ…?」

カカシは、アスマの言葉に無言で、固まったままのテンゾウを振り向いた。


湯気でも出そうなほど真っ赤になっている後輩の、その様子で、同僚の言葉が正しいことを知ったカカシは…


「なんだ、それ、俺にくれるつもりだったんだ?…なら、ちょーだいよ、それ。」

カカシは動けないテンゾウの襟首をつかんで引き寄せると、再び唇を重ねてきた……








テンゾウはカカシの頭を抱え込んでそのカカシの「くちづけ」を思い出した。

そういったことに不慣れだった自分…暗部の人間としては、驚くほど奥手だった…は、いきなりスペシャルクラスの接吻を味わわされたのだ。

呆然と丸薬を舌に乗せたままだった口の中に入り込んできた、唯一無二の人の舌。
丸薬を探って、舌が口内を蹂躙する。
そうして、それを見つけてすくい取った後も、歯の裏をなめ上げ、舌を甘噛みして、ようやく離れた後は…

「テン、口の中、まだ味がするぞ、もったいないなあ…」

そう言って…また口が重なってきた…







あれは強烈だったな…

きっとこの人は、ボクが初めてだったのに気づいてないんだろう…

テンゾウはカカシの髪に交じる香ばしい汗のにおいを吸い込んでまた思い出し笑いをする。
微妙に初めての相手を気にしているのに気づいたが、これは秘密にしておこうと思う。

子供のころにはじめて好きになった人に、口付けも、人を好きになる幸せも、守ろうとする強い意志も…幸せだと感じる、あらゆる「初めて」を教えてもらった。


自分の過去がたとえどんなものであったとしても、今、こうしていられる自分は間違いなく幸せで、それがこの人という存在のお陰だとテンゾウはちゃんと分っている。


生まれてこなければ、この人とは出会えなかった。

あの悲惨なかつての時間も、この「時」につながっているのだと考えれば、それすら受け入れられる、と、テンゾウは思った。




★カカシ

自分の頭を抱え込んで、何やら楽しげに笑っている後輩のその胸に額をつけたまま、カカシはゆっくりと目を開けた。

今になってようやくわかる。
こうして、自分に注がれる穏やかで温かなまなざし。ため息をつきたくなるような、懐かしささえ覚える気配…


そうだ、あれはお前だった。

あの人をなくし、前しか見ることができなくなっていた俺に、時には立ち止まって、あたりを見回す余裕を、心のゆとりを持つことの大切さを教えてくれたのは。


小さかったお前が、暗部でストレスのはけ口にされていたのに気づいていながら、うまくかばってやれなかった。
どうしてやればいいのかわからなかった。

先生は俺にどんなふうにしてくれたっけ…?

そんなことばかり考えた。

ただ、お前がちゃんと後をついてきているか、ついてこれるか、それが気がかりだった。

それで…


後ろを気にするようになった。



お前がちゃんと俺にくっついてきているか…心配で…


俺はいつか、また背中を振り返るようになった。


そうして、前だけを見ているときには気付かなかったたくさんのことに気付くようになった。

戦うすべは持たなくても、それでも支えてくれようとする温かい手。
気遣う声。
想い。

お前だけでなく、そういった温かいものが自分に降り注いでいるのにようやく気付くことができた。



俺は幸せじゃなかったか…?


あの時も…

あの時も…



あの人に出会い、教えを請い、そうしてあいつを失い、あの人を亡くしても。


俺は幸せではなかったか。


いつも、いつも、生かされてきた俺は…


ついに、この腕を手に入れた俺は…



「…テンゾウ…」

低くその名を呼んでみる。


「はい。なんですか、先輩。」


やさしい声が返ってくる。


「俺たち、もしかして、幸せなんじゃないかな…?」

そう聞いてみる。


「…偶然ですね…ボクもそう思っていたとこでしたよ…」


低い声が甘い響きを帯びる。

あ、やばいな、この流れ…


器用に何でもこなす、長い指が、汗ばむ背をたどってくる。

おいおい、もう、くたびれたよ、俺は…

丸い尻の肉をわしづかみされて、思わずため息が漏れる。


こんな気分の時は、わがままな後輩を甘やかしてやるのも悪くないか…

晩飯は何を作らせるかな…


そんなことを考えながら、カカシは膝を割って入ってくる手を受け入れた…




任務明けの、ある晴れた、朝の出来事。


end





Update 2009.05.31
あとがき
おおげさではなく、自分の根性への挑戦でした(^^ゞ

この更新の直前に、持病の腰を悪化させて…でも、書きかけだったんで、仕上げたくて…

立って書きましたよ…^^;

出来…が微妙かもしれませんが多めに見てください(^^ゞ

書きかけのテンカカがたまっています。
なので、できれば次もテンカカ…か、な…?

いやいや、ここで余分な予告はすまい…どうなるか分からない〜〜ってのが本音です(笑)

また、お付き合いよろしくお願いします(u_u*)