明け烏
〜前篇〜



太陽に焦がれた、ある男の話……。







その男は カラス と 呼ばれていた。



長い間暗部の第一線に身をおきながら、命を永らえている、それだけでその男の忍としての優秀さは証明されていたが。

日のあたる場所へ移動を望むわけでもなく、淡々と陰惨な任務をこなし続けていた。


ただ、己を拾ってくれた、前代の火影のためだけに。



例えそれが、その時出奔していた息子の代わりであったとしても。
カラスには関係なかった。

三代目の情愛に偽りはなく、身寄りの無い男を気にかけてくれるのは、里長であった三代目だけだったので。

幼い男が、「烏」、鳥より一本足りない間抜け、と揶揄されると、三代目は、

『牙のある鳥…それが本当の鴉だ。お前はそんな忍になるんだぞ。』

そういって男を励ました。

だから。


三代目が守ろうとした木の葉の里を、三代目亡き後も、ただ守り続けるだけ、それだけが「鴉」だと呼んでもらえた自分の目的であり存在意義なのだと。

男はそう信じていた。








六代目が暗部の解散を宣言するまでは。











ひっそりと静まり返った薄暗い病室で、カラスは病床の青年を見下ろしていた。



類稀な力を持つ凶眼は包帯の下だ。

相手はチャクラ切れで動けない、というのに、病人の実力をその眼で、体で知るカラスは、つい用心してしまう。



─暗部根性が染み付いている…


青年はカラスと同じ暗部にも在籍していた事もある辣腕(らつわん)の忍。



今の若い暗部には信じられないような過酷な任務を数え切れないくらい一緒にこなしてきた。

暁来襲のおり、殆どこれといった働きの出来なかった自分達に引き換え、この青年は…


─命、懸ける場所を得たんだな…カカシ……



カラスにはそれが出来なかった。する機会さえなかった。
そういった晴れがましいといえる戦場(いくさば)を与えられた事はなかった。

闇に紛れ、人が眼をそむけるような陰惨な任務に手を汚してきた。
それはこの青年も同じだったが。

けれども彼は、己の名を伏す事もなく、その任務に就いた。
もとより名さえない自分とは違う。
二つ名をもつ木の葉の英雄の遺児として注目を集めていた筈のこの青年は、臆することなく、素のままで暗部任務をこなしていった。

汚い仕事も、後ろ暗い仕事も…
報復も、恨みも憎しみも、すべてその背に背負う覚悟で。



そうしてその覚悟は、上忍師となってからも…









「すっかり教師が身に染み付いたか…カカシ……」


「アンタは差配になったんだって…?」


眠っていると思っていた青年から返事が返っても、カラスは驚きはしなかった。

どんなに気配を消していても、この青年のそばに気づかれずに近づけるとは思っていない。




「それも今日までだ。」
「…何、引退でもするの…?その年で…?」
相変わらずのとぼけた物言いに、鳥面の下でカラスは苦笑した。彼にほんの僅かな苦笑でも…誘う事の出来るのは、今となってはこの青年だけかもしれない。


「お前の”オトコ”に俺たち全員クビにされたよ。」
「…クビ…?…っていうか、オトコってなんだよ。やないいかたするねぇ…」
ぶつぶついう青年にかまわずカラスは続けた。
「間抜けな下役たちが、小遣い稼ぎに死に損ないの年寄り達の使いっパシリをした巻き添えだな。」
「……ああ……」
「……何人来た…?ここに来たんだろ、暗部のヒナ…」
包帯をした青年は、肩をふるわせて、くつくつと笑った。
「来たよ。4人で。」
それも六代目が潜んでいるとも知らず、六代目の命令だ、と抜かしやがった、と青年は言わなかったが。
「……4人?40人じゃなくて?」
「…おかしな事言うんだな。差配のアンタが知らないの?」

そう問われてカラスは面の下でため息をついた。

「暁の戦の後で暗部に回ってきたヤツらは…使い物にならん…」

そういう暗部の差配に、ベットの青年は肩をすくめた。

つまりは、この男は、使い物になりそうもない新入りの教育を放棄した…さじをなげて、そのまんまにしていたのだろう。

「今なら、なまくら暗部でも死にはしないからな。お優しい火影さまが厳しい任務を引き受けない。」
「無責任な事をいってると六代目から雷が落ちるぞ。部下を大切にしろってな。」
「……その六代目さまはおなじ部下である筈の暗部を大切にしてるとも思えんがな。幼馴染の仲良こよしで周りを固めて、他を蔑ろにしている…」
「……と、噂はどの辺までひろがっている…?」

ひんやりと気配を変えた青年にカラスは瞠目した。

そうか。

其処まであの小僧が大切か。



三代目が火影に再任し、そして身罷ったとき、カラスは一人でその苦しみに耐えていた。
しかし、その喪失感は余りにも大きかった。
大切にしていたもの、全てなくした、と、絶望に身を任せようとしたカラスを、現世に引き止めたのは…

「三代目が守ろうとしたものを守るのがアンタの仕事じゃないの…?」

この青年その言葉だった。

火影

それはカラスにとって、太陽の象徴。
日陰でしか生きて来れなかった男の、叶わぬ憧れ。

その火影に…


「いらん、と、言われちまっちゃぁな。そんな噂の広がり具合を気にしている場合じゃなくってな。」


「ふーん」


返ってきたのはさも、気のない返事だった。この男のことだ、考え直せと、説教の一つでも食らわせてくるか、と思っていたが。


─やはり大切なのは、自分のオトコだけか…
その類稀な忍としての力も…比類ない…容貌も…だた、あの洟垂れ小僧に独占させるのか…


マグマの流れに似た怒りがふつふつと腹の底からわきあがってくる。
……そうか…
俺はこの男が…

自分にないもの全てをもつ青年。
嫌っていると思っていた。
バディとして信用しても、決して心を許しているわけではないと。

けれどもそれは、月を手に入れようとして天に吼える餓狼になるまいとして、張った、予防線だったのではないか…?


この男に惚れて、苦しまないために。


しかし、その枷はすでに外れてしまっている。

この青年が…
誰のものにもならないと…それだけで、己を慰めていたのに…

あんなひよっこに…



「どっちにしろ…俺は暗部の血臭が染み付いている。お前のように表には出られん。暗部がなくなれば、オレも消えるしかないな。」
「………」
「長い付き合いだったんだ。餞別をよこせ、カカシ」
「……里を出る気か…?」
「…さて…ね」

里を出る…?
コイツは何を言ってるんだ。
里を守り続けて命を落とした三代目…その意志を継いだ筈の火影からいらないと言われたんだぞ…?

俺に何をしろというんだ…?

人を殺すことでしか…値打ちを示せない俺に…?




カラスはゆっくり寝台に横たわる青年に近付いた。





青年は動かない。
動けないのは本当のようだった。

「餞別ってもな。俺は今、何にも持ち合わせないよ…?」


「……もってるだろう…?そこに…」


「………鴉…」


初めてカカシの声が変わった。


「止めておけ。俺は気にしなくても気にするヤツがいる。爆薬庫みたいなヤツだ。わざわざ火種を放り込むようなまね、しないでくれ。」


何時ものふざけた口調ではなかった。


「…ふん。爆発しても、どうせ吹き飛ぶのは俺だけだ。なら、冥途の土産に…貰うぞ、お前を。」





「止せ……鴉!」















カラスは思った。


こいつに、もっと名前を呼んでもらいたいと。

この青年の呼ぶ声は、

「カラス」でも「烏」でもなく…


三代目が呼んでくれたように、ちゃんと「鴉」と聞こえた……




















「っ…あ…っ…!!止め…!!さ、さわる…なっ!!」



体を捩る事も出来ない青年を組みしくのは簡単だった。
何処からか取り出した武器で殺されても…この青年に、自分のくだらない一生の始末をつけてもらえるのなら…

それはそれでかまわない、とカラスは考えた。

「殺したいか…?俺を…?なら、そんな風に動けなくなるまでチャクラをつかったりしないことだな。だから…こういう目に会う……」

そういって男の指先が、さらに青年の体の奥にまで忍び込んだとき…


「………っ!!!」







「それについては全く同意見だってばよ…」


唐突に…部屋に響いたのは…



当の男から、生きる「すべて」を奪った若い火影の…感情を押し殺した声だった…






若者の蒼天の瞳が、金色(こんじき)に激情の炎を揺らめかせているのを見た時、カラスはこれで全ておしまいに出来る…と思った。

自ら死ぬ事すら出来ない…

生きろ、生き続けて里を…

その言葉がカラスをがんじがらめにする。

三代目の願いを叶えたかった。
でも…それももう終わりだ。

この六代目が…それを成してくれるだろう。

もう、自分のような人間を生み出す事の無い世界を…

きっと…。




続く…

Update 2009.04.24