海薫る
Clap Log 5
ぽたりぽたりと落ちてくる雨だれを、薄暗い洞窟から見上げていた。
任務の帰り道である。
カカシとナルトのツーマンセル。
二人に割り振られただけあって、確かに歯ごたえのある任務だった。
ここのところ、とみに力をつけてきたナルトに、世代交代だな、とは思っても、素直に乗り越えられてやる気のなかったカカシは、それなりに見栄を張って…
無理をした。
半ば護衛任務だったせいもあるだろう。
戦うすべを持たないものを守るのは、戦う牙を、爪をもつ者の定め。
そのために牙をといできた。鋭い爪をひた隠して、武器にしてきた。
強くなったナルト。
どんどん先に駆け抜けていくナルト。
置いていかれるのが怖いのか
残されるのが怖いのか。
…ビト…
お前もこんな気持ちを味わったんだろうか。
カカシは熱を持ち始めている左目に額当てを下ろし、感情に寄らない涙にぬれ始めているルビーの瞳を、隣の若者から隠した。
ほとんど習慣のように、今はもういない、友人に語りかけながら。
***
ぽちょん
やけにかわいい音を立てて、しずくがまた一つ目の前に落ちる。
雨の音は遠くなってきているが、霧雨にけむって景色は紗がかかったようだ。
ナルトは隣のカカシに目をやった。
二人きりのせいか、ずいぶん纏う空気が柔らかい。
そのことに深い満足を覚えながらも、カカシから漂う海の気配にナルトは眼を細めた。
木の葉は森の里。
いつからだろう…
隣のこの人に、海を感じるようになったのは。
自分もずいぶん強くなった。
純粋な力勝負なら、この人に勝てるかもしれない。
でも。
本気の殺し合いでは…
どうかな。俺もかなりやるつもりだけど…カカシ先生には…まだ読み負けるかもしれない。
決して殺しあうことなんかあるはずないのに、そんなことを想像してしまう、戦いに取りつかれた自分たち忍は…
なんて度し難いのだろう…
そんな埒もないことを考えながら、ナルトの視線はカカシの横顔から下に降りていく。
指なしのグローブから出た白い手頸の細さ…
見たい見たいと思った素顔を思いがけなくあっさり目の当たりにした時の驚き。
別に隠してるつもりはないんだよ
そういってほわんと笑うつかみどころのない上忍師。
海から生まれた生物は、たとえ陸棲の生き物でも受精は水の中だ。
海を断ち切って生きていけるものはない。
隣の青年から漂うのは、原初の海の気配…
***
ふ、と思い至ったようにナルトの大きな手がカカシの斜めがけされた額当てに伸びた。
「ん…なに?」
「あー…なんでもねーけどさ、眼、見せて…?」
「……え…なんで…?」
見たいんだよ、せんせの写輪眼…
今更何いってんだよ。
他愛ない押し問答がつづき、焦れたナルトは強引に額当てに手をかける。
………あ……
赤いその眼は濡れていた。
ナルトの目の前で、ぽろり ぽろり と流れていく、薫る、水………
額当てを取り返そうとする、指の長い白い手を遮って、ナルトはその首筋を抱え寄せた。
「ナルト…おま……なに……あ…!」
こんなところにあった。
海が…カカシ先生の左目に…
「赤い…海だな、先生…夕陽の海だ…」
生き物が生まれた原初の海。赤い…陽を映す…
熱を持って疼く左目を覗き込みながら、若者は海が見えるといった。
覗き込まれて、こばんで。
のけぞれば抱え込まれて。
海なんかじゃない、これは…
「よせっ!ナルト!!」
のけぞった上体に乗り上げられ、おさえこまれて、頭を固定される。
「無茶は俺の専売特許だってばよ…先生。このごろ先生に先、越されて…おもしろくねぇってば…」
微苦笑を含んだ声が雨音に交じってカカシの上に降りかかる。
カカシ先生の海。
赤くあふれ出る。
ナルトはおさえこんだカカシの左目に舌をあてた。
固く閉ざされたその、長い傷跡の残る瞼を、ゆっくりゆっくり舌でたどる。
ナルト、と声がかすれる。
獣が傷をなめて治すように。
ナルトの舌がカカシの濡れた左目をたどる。
あふれる涙を、飽くことなく舌が掬い取り、おさえこんだ腕はいつかそっと肩をだく。
カカシ先生の写輪眼は泣き虫だってばよ
そう言われて、カカシの貌が泣き笑いにかすんだ。
遠い昔になくした、かけがえのないものの残滓が、赤い、二つとない瞳からこぼれおちていく。
せんせぇ…寂しいの…?
その問いに素直に肯うには自分は年をとりすぎた…
そのまま、肌を探る手をゆるし、カカシは、あいつは一度も海を見がことがなかった、と、思った……
***
ぴちょん
ナルトの熱い頬の熱を胸に感じながら、カカシもその雨だれの音を聞く。
いずれ、この雨の水が流れて海にたどり着くように。
自分たちの想いもどこかにたどりつくのだろうか、と考えながら。
end
Update 2009/12/10
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