戦場にて…



少女にとって、その青年は上忍師という、性別も年齢もない曖昧な存在でしかなかった。
いつも幼い彼女をその広い背に庇い、危険をコントロールして、最悪の危機から必ず守り通してくれる。

親、と言うには若すぎる相手に、親に対するような全幅の信頼と無防備な甘えを寄せていた、と気付いたのはそんなに昔のことではない。

◇◆◇

暁の部隊との全面戦争は、忍の連合軍に多大の犠牲を強いた。
即死で命を落としたものはともかく、命長らえたものは医療忍者の手を必要とし、綱手の片腕として重要な立場にあるサクラは気が遠くなるような仕事に追われることになった。
仲間の命がかかっている。弱音を吐くわけにはいかないが、それでも、時折気持ちが萎えそうになるのはどうしようもなかった。

瀕死の重傷の中忍をどうにか持ちこたえさせ、仲間の医療忍者に託して肩を回しながら立ち上がったサクラにサイの潜めた声がかかった。
「…サクラ…ちょっといいかい…?」
「…なに、どうしたの…?」

いつもは表情の薄いサイの深刻な様子にさすがのサクラも声を落とす。

「今…ちょっと敵の攻撃の手が空いたんで…ちょっと来て貰っていいかな…?こっちは一段落したんだろ?」
「…だれが怪我したの…?」


サイの部隊にも医療忍者はいるはずだが、手に負えなくなったか…?

「…カカシさんなんだよ…外の負傷者を最優先で手当させてしまって…」
「…自分が後回し…もう…先生らしいけど…ホントに〜〜〜〜!!」

サイも、忙しいサクラを呼びに来る前に何人かの医療忍者をカカシの手当に連れてきたのだが、その都度、他のけが人の手当に回してしまい、自分の傷を見せもしないのだ。

―――――らちがあかない…


カカシを、有無を言わせず手当出来る医療忍者を、サイは二人しか思い当たらなかった。

一人は里長として幕僚本部に詰めている。

と、なると…

同じ七班の班員同志、言葉にせずともその辺りを即座に理解したサクラは、指をバキバキ鳴らしながら、まかせなさーいと頼もしく請け負った。

◇◆◇



「カカシセンセ〜〜」

疲弊した忍び達が座りこむ戦場に、少女の明るい声が響く。

再不斬たちとの消耗戦で疲れ果てた彼らは、少女の華やかな色合いにほっと肩の力を抜いた。

そういった意味でも、サクラほど医療忍者に向いた存在は無いかもしれない。

部下の忍びと何か地図のような物をのぞき込みながら、指示を出していたカカシは、自分を呼ぶ声の主を知っていた表情で目元をほころばせた。

写輪眼は閉じられていたが、纏う闘気は戦闘時の余韻を残し、上忍師がどれだけの戦いをしたか、その場に居なかった少女にも察して余りある物があった。

「よ、サクラ。無事だったみたいだな。丁度いいとこに来てくれたよ。こっちにも重傷がいっぱいでちゃってさ。チャクラに余裕があるんなら…」

言いかけたカカシをサクラは大急ぎで遮った。

「センセ、勿論お役に立とうと思ってますけど、その前に…ちょっと相談したいことがあるんですけど…」

女の子の最大の武器…にっこりとした笑顔にちょっと甘えをにじませて、見やった先はカカシではなく(カカシにそんな物が通用しないのは承知の上だ)カカシに任務報告していた中忍だ。

「仕事遮っちゃってごめんなさい、今いいですか?」

かわいらしい医療忍者にそう聞かれて、否や、と言うほど切羽詰まっていなかった中忍は、どうぞどうぞ、と、カカシの隣を少女に譲ってさっさと引き上げていった。

「…ちょっとサクラ…それって 俺に聞くべきじゃないの?」

苦笑しながら、それでも上忍師の顔で、もと生徒の頼みを聞く体勢になったカカシは、少女に手を引っ張られて戦場からちょっと離れた木陰に連れ込まれた。

小高い雑木林のその場所からは、地に倒れ伏した忍び達の惨憺たる有様が見渡せ、カカシは眉を曇らせる。

―――――また…先生ったら…自分を責めたりしてるんじゃないでしょうね…!!

心の中で思っていた…はずの言葉はつい口からこぼれていたらしく、苦笑したカカシが穏やかな視線をサクラに投げかけた。

「…サクラ…サクラ、俺はそんなに思い上がっちゃ居ないよ…自分が何もかも出来る…なんてな…」
「…先生…」
「…ま、そんな超人だったら、そもそもこんなばかばかしい戦い、起こる前につぶしちゃってるだろうけどね」

肩をすくめて目元で笑う上忍師が、どれだけの苦悩の上にその言葉を口にしたか、すでに察することの出来る年になっていたサクラは、自分の言葉を潔くわびる。

「なら、先生も、生き延びるために最善を尽くさなきゃ、でしょ?!」

ん?と、小首をかしげた上忍師の上忍ベストを引っ張ると、

「さ、センセ、脱いでこれ!」

ばさばさっとベストをはぎ取られ、あっけにとられるカカシの前に跪くと、サクラは少し離れたところから此方を見守るサイに視線を投げかけて頷く。

それを見たカカシはちょっと苦笑して、サイもお節介になったもんだな、と小さくつぶやいた。



「お節介なんかじゃありません!!」

ぐっしょりと血を吸ったカカシのトラウザースを間近に見て、サクラの顔色が変わる。

―――――良く之で貧血を起こさずにいられるわね…
チャクラで止血してたみたいだけど…


部隊長のカカシがこんな怪我をして、治療の必要がある、と、隊員に知れ渡るのはただでさえ仲間が削られて意気消沈している忍び達の志気に関わる…

と、カカシが判断したのは分かる。

―――――なら分からないように治療すればいいじゃないの全く!!

カンカンに起こっているサクラに、さすがのカカシもあきらめたか、さりげなく生徒のお願いを聞いている風を装ってサクラの治療を受け入れた。

いつもの生徒と上忍師の見慣れた風景に溶け込み、隊員達もしばしの休息に入り、見張りに警戒を任せてカカシ達から意識を離していくのが分かる。

それを見計らってサクラは、カカシの腹部に張り付いた忍服の裾をそろりとめくりあげていく。
カカシは何も言わず辺りをさりげなく警戒している。

―――――…いつもこうだったわね…先生…戦場で…あたし達が居るとき…絶対自分は気を抜かないの…

そんな事に気付いたのも最近のこと。

ぺり、と、乾いた音がして、乾燥して固まった血液がぽろぽろと剥がれ落ちる。

チャクラで熱量を上げ、乾燥させて蓋にし、止血していたのだろう。

べりっっと抵抗があって黒い服がまくれ上がり、カカシの白い腹が覗く。
…白い…今は真っ赤に染まった…

ぼたぼたぼたっといきなり出血し、カカシの傷の具合がかなり深刻なことに改めて気付く。

「…先生ったら…鎖帷子、なんで着てないんですか!?」
「……サクラ…声が大きいよ…」

視線を外に投げかけたままカカシは何気ない風をしたまま、答えた。

鎖帷子で防げるような攻撃をする敵が居るはずもない。
ならば、少しでも機動性をあげるべきだと。

―――――カカシすら、速さを重視せねばならない敵がいるのか…

暗鬱とした気分におそわれながらも、血のあふれる傷を両手で挟み、ゆっくりとチャクラで覆っていく。

ぱっくりと裂けた傷は、カカシの腹筋がほとんど受け止め、幸いにも内蔵に影響はないようだ。

…普通なら腸までずたずたになっていたところだわ…

鍛え抜かれた身体と、咄嗟に身を引いたであろう判断力。

…普段先生の肌って見えてるところが微妙なのよね…

右目の周り少し。
両手首。
足首。
そして指先。

…なに…?
何だかそれって…Hくさくない…!?

唐突に妙なことを考えたサクラは、目の前に赤く血を纏った白いカカシの肌が肌理の整った美しい皮膚で覆われているのに気付く。

…なに…?なになに!?やだっ…

チャクラを流し込むために手のひらで広く触れるため、そのなめらかさ、暖かな体温までリアルだ。
手を差し入れようと、トラウザースを少しずらしてサクラはぎくっと手を止めた。

…やばっ

下げたトラウザースのベルトの部分からうっすらカカシの下生えがぎりぎりかすめている。

カカシ本人は何も気付いていないのかあるいは気にもしていないのか、視線は外を向いたままだ。


―――――治療中、治療中、治療中ったら治療中よ!!やましいことはないわ!!

そう必死で自分に言い聞かせていたサクラは、まるで中年のオッサンのセクハラもどきではないかと思い至り、がっくりと肩を落とした。

「…?ん…??どうした、サクラ…?」
「いいから怪我人はじっとしてて下さい!」

意味不明の八つ当たりをして、傷に集中する。

いつもは体臭のないカカシの、濃厚な血のにおいは、強烈なインパクトでサクラの嗅覚を刺激し、忍びの常として身につけている鋭敏なそれは、血の、鉄臭のなかに、間違い無くカカシの、微かな汗のにおいを含んでいた。

それは思いもよらずサクラの女の部分を強烈に刺激した。

いつもは猫背で、茫洋としている師の、なめらかで、残されている傷さえ美しいと言える、身体。

己の痕跡を残さない事が鉄則の忍びの中でも、キバの一族に匹敵するレベルの嗅覚を保つカカシは、ほとんど体臭を持たない。
チャクラのコントロールから身につけたであろうそれは、すでに習い性となり、意識してやっていることではないのだろう。
けれど、隠密任務ではないこの激闘で、オマケに顔をつきあわせての戦闘、体臭をわざわざ消去する意味はない。

―――――汗なら汗くさくにおってよ先生…なんで…汗がへんに良い匂いなのよ、信じられない!

強引にチャクラの熱量を上げ、傷の修復を急いだサクラは、軽く息を詰めたカカシを慌てて見上げた。

―――――やば、急ぎすぎた…!?

急速な再生は患者に苦痛を与えるので注意しろと散々綱手に言い聞かされていたのに。

「…っ う…。」

カカシの白い眉間に皺がより、近くで見ると瞳孔の大きさの違う二つの色違いの瞳が見下ろしてきていた。

「せ、センセ…ごめんなさい、痛かった…?」

そう、見上げながら聞くサクラに、カカシは目を細めて笑顔を作る。

「ん?わざとじゃなかったんだ…?不肖の師は弟子からお仕置き喰らったのかと思ったよ」

そう言うことで気にすることはないと伝えてくる師に心の中で頭を下げて…

更に治療を急いだ。

「…つ、つつっ、サ、サクラ…もちょっと…なんだ、いててて」


切られた時より治す方がイタイよ、と、腰の引ける上忍師のベルトを鷲つかんで、治療を急ぐサクラには彼女なりの事情がある。


―――――冗談じゃないわ アタシはあの火の玉小僧と無表情熱血隊長の間に入って センセの寵を取り合うような タフな精神は持ち合わせてないんだから!

このオッサンが可愛く見えたりきれいに見えたりする自分の目を疑える内に、さっさと退散しよう、と、少女は堅く…心に誓った。


その後…戦いは熾烈をきわめ、恋愛云々どころではなくなり、少女の危惧は杞憂に終わる…はずだったのだが…………

いつの世も…人の目算は近視で、遠くまで見通せた例しはないのであった…。




初出:memoブログ 2011/2/15,3/07
Update 2011/12/07